畳ということ
両親の家を設計して建て替えたその以前の家、つまり僕が育った家について、もっとも古い記憶にある家は当時の流行りの典型のような家だったのだなと思う。
木造平屋で外観は完全な日本的意匠(瓦屋根に黒漆喰壁)で、玄関から裏庭にかけて通り庭があり、そこに台所がありました。
また玄関のよこには応接間があり、その応接間のとなりの部屋だけが洋間で、小さな観音開きのスチール窓がありました。(それ以外の部屋はすべてガラス格子の木建具)
トイレ、というより便所は棟としてはつながってはいるものの、いったん外に出ないと行くことができず真冬はつらいものでした。
汲み取り式で手洗い器はなく、代わりに石でできたつくばい(手水鉢)があり、当然真冬は凍るので氷を割って手を洗っていました。
いちばん古い風呂の記憶はあまりないのですが、浴槽は木製で通り庭に薪をくべる場所があったようです。
応接間の隣の洋間だけがドアでそれ以外はすべて襖で部屋同士がつながっていて、床はその洋間だけが真っ赤な絨毯敷きでそれ以外はすべて畳敷きでした。
それはおそらく昭和のはじめ頃に建てられた和洋折衷様式の家だったと思う。
住宅史的に言うと大正デモクラシーの時代に生まれた「文化住宅」の庶民版のようなものです。
「文化住宅」は、1922年(大正11年)に開催された「平和記念東京博覧会」の住宅展示場「文化村」に由来するもので、文明開化による西欧化が暮らしのレベルまで浸透しつつあった時代に「住」についても改善しようと企画されたものです。
住宅の洋風化は明治の中頃から始まっていたのですが、この博覧会を契機に「文化住宅」が地方にまで拡がっていったと考えられています。
その内容は、居間・客間・食堂は必ず椅子座式というもので、当時の生活に混在していた和洋の「二重生活」を解消し、家族本位で居間中心の間取りを勧めるものでした。
ところが実際のところはそうはならなかった。
つまり畳の生活から離れることができずにほんの一部、玄関脇に洋風の客間や小部屋をつけるだけの和洋折衷の家が流行したのでした。
これがまさに僕の育った家でした。
ちなみにこの「文化住宅」でもっとも有名なのが「となりのトトロ」に出てくる「サツキとメイの家」です。
「サツキとメイの家」は外観までしっかりと洋風の意匠が取り入れられているのですが、それでも生活はやはり畳を中心としているように描かれていますね。
畳は難しい。
考えれば考えるほど難しい。
ドイツの家のお客様は比較的畳を希望される割合が低いと思います。
それでも時折りの希望はどうしてもあります。
必要ですか?とちょっとは粘りますが、必要でないひとはそもそも希望されないので無駄な足掻きです。
畳のなにが難しいのかというと、つまり外部建具です。
ドイツの家の樹脂サッシも一般的なアルミ樹脂複合サッシも、木製サッシであってもよほど特殊なものでないかぎりサッシと名のつくものは総じて畳にあわない、まったくあわない。
八王子のA夫妻の家はうまくできたと思う。
どうしてもと畳部屋を希望されたA夫妻のためにかなり大きな玄関土間をつくり、そこに付属する半独立型かつ内部屋型の畳部屋を設計しました。
その畳部屋には直接外部に面するサッシがなく、その代わり天窓があって造り付けの机(書院)に光が落ちるようになっていています。
室内側の壁は左官仕上げで土間側の壁は大谷石仕上げとかなり硬めにしたのもよかったです。
寝殿造の「塗籠」(あるいは納殿、近世の納戸の起源)のイメージが近いです。
畳部屋というとすぐに思い出されるのは「世界のタンゲ」丹下健三自邸です。
1953年から1974年まで成城にあったそうなので丹下さんが40歳のときに作られたのですね。
独特なプランでもっと若いときに作られたのだと思っていました。
木造2階建てで1階はほぼピロティ、2階が居住空間となっているのですが、その居住空間の多くが畳敷きでほんとうに美しい。
ただ外部建具はガラスの木建具、内部建具は障子か襖、壁が少なく寒かっただろうな、とは思います。
近代数奇屋を完成させ多くの類型を生み出した吉田五十八もすごいのだけれど畳の純度というと丹下自邸が極北だと感じます。
しかしなぜ丹下自邸は畳だったのだろうか、よくわからない。
丹下さんご自身が自邸をそれほど重要視されていなかったのか、それ以外の作品が巨大すぎたのか、あまり自邸について詳しく書かれたものを僕は知らない。
デザイナーの剣持勇が「建築家なしの建築」で知られるバーナードルドルフスキーを丹下自邸に招いたときのエピソードを語っています。
剣持さんによるとそのときの丹下さんは「紺の紬の着物羽織りに白足袋雪駄の姿」だったらしくそれに対しルドルフスキーは「ミュゼアムピース」と言ったらしい。(賞賛?皮肉?)
いずれにしても丹下自邸が畳じゃなくすべて床だったらと想像するとしたら、それでも美しいとは思うけれども精神性の高さやそのインパクトはやはりかなり減じてしまうような気がします。
つまり僕は畳とはそういうものだと思っているのです。
そこはどうしても畳でなければならぬ、という場所でのみ使う必殺の魔球のようなものです。
ちなみに僕が納得する畳の使い場所は、「家事室」と「物書きの書斎」です。
共通しているのは?
洗濯物と書きかけの原稿、どちらもいったん散らかしてしまうほうがよいです。
追記すると丹下自邸の敷地は塀がなく、庭や1階ピロティは近所の子どもたちに開放されていたと丹下さんの娘さんがお話しされています。
素敵なエピソードです。