風水ということ

僕の建築の先生であった毛綱毅曠は風水建築家と言われることがよくあります。

荒俣宏の小説、シムフースイシリーズに出てくる怪しげな建築家田網は毛綱がモデルです。
ただ風水建築家というと風水に則って住まいの設計をして結果住む人が幸せ、というイメージがありますがそれとはかなり違います。(先生は初期を除き住宅の設計をあまりしていない。)
かといって香港で起きた(香港上海銀行と中国銀行の超高層ビル同士がお互いに風水的攻撃を仕掛けたという)風水戦争で活躍した風水師のようであったかというとそれもまた違う。
そもそも大学時代に憧れていた先生は風水建築家ではなく天才的な造形作家だったので毛綱イコール風水という括りは僕にはあまりなのだけれど、ご自身が望んでいた側面も否定できないのでなんとも。

ちなみに僕が入所を許可されたときに当時の室長であった建築家の堀内雪さん(僕の唯一の建築の上司です)に「先生のどの作品が好きなの?」と聞かれ能登島ガラス美術館(91)と答えたら「世代ねえ」と呟かれました。
堀内さんの世代のそれは釧路市立博物館(84)のはずなのですが、ガラス美術館は四神相応、博物館は金鶏展翅形をコンセプトとしていることからどちらもすでに風水が深く関わっています。
ガラス美術館は建物を分散配置(先生は散逸と言っていました)してそれぞれを青龍、白虎、朱雀、玄武に見立てて設計されていますし、博物館は金の鳥が羽を展げ、卵を抱いている形に見立てて設計されています。
先生のデビュー作は69年の「北国の憂鬱」という住宅(なんという文学的なタイトル!名づけられた方はたまったものじゃないと思いますが実はお姉さんの家です)で、76年に「天・人・地」三部作を発表しているので、そのタイトルを見てもかなり早い段階から風水的な意識があったことになります。

ところで僕は何度か先生と先生のホームグラウンドである釧路に同行していますが、時間があれば寄る場所があってそれが(マルセイバターサンドで有名な)六花亭春採店の喫茶室でした。
その喫茶室は丘の上にあるのでそこから博物館を絶妙の角度で見下ろすことができ、博物館の金鶏展翅形とまさに大地のツボであるかの様子をうかがえるのです。

先生は博物館の解説をするわけでもなくただ六花亭のメニューを黙々と楽しんで帰るだけで、僕はこんな近くにいるのだから連れていってくれたらいいのに、と思いながら同じく黙々と食べていました。
いまならたくさんお聞きできると思いますが当時は側にいるだけで緊張していたので、たぶん当たり障りのない質問をしたのだと思います。
六花亭に行くのはもちろん先生が好まれていたからですが、不肖所員に少し風水の真髄を見せてやろう、連れていくほどのサービスはご免だけれどな、といったところだったのかと思います。

先生の思惑はどうであれ、あの風景は相当に鈍感な人間であっても気を感じることができる。
風水は大地の気なので「観る」には俯瞰が適していて、実際に先生の親友であった写真家の藤塚光政さんが撮られた毛綱建築で印象深い写真の多くは航空写真です。
藤塚さんはほんとうにすごい写真家で、先生の考えていたことを1冊の本のごとく語るような写真を撮られていて、先生も藤塚さんに撮ってもらって建物が完成するというかんじでした。

けっきょく風水とは大地の気を受けとるカタチなのだと思う。
僕が先生が風水建築家とされるのに少しの抵抗があるのは先生が天才だったからで、いくら風水に造詣があったとしてもそれをカタチにするのは才能以外にありません。
Wikipediaでは先生について「形而上の概念からは建築デザインはうまく産み出せなかった」とありますが、この文章を書いた人はデザインをしない人かなと感じます。

それに大地の気にも「サイズ」というものがあるのだろうということです。
よく言われることですが風水は本来、都市のスケールのことでたしかにそうだろうとは思うのですが、ガラス美術館や博物館を見ているとそれほどのサイズならカタチが可能なのだろう、それが住宅のサイズともなるともはや気の流れのよい場所に建てる以外にないのかなと思います。
そういうわけで僕はたとえば住宅のこの方角にこの色やモノを、あるいは整理整頓を、的な風水表現を見るたびに鼻白んだ気分になるのです。

ここでドイツの家が風水をどう考えるかは明確にしておかないといけませんが、つまり風水を「環境テクノロジー」、気を「目には見えない、情報をもったエネルギー」だと考えます。
ドイツの家としてもっとも大切にしている「自然との一体化」のために自然エネルギーをふんだんに取りこんだり、通風のルートをデザインしたり、それらのための最適なカタチを考えたりすることは、すなわちそのまま僕たちが定義する風水と同一と思っていただいてかまいません。

カタチが深く関わるのが風水であり、カタチは関係なく方位のみに関わるのが家相だと考えますので、どちらが根源的であるとか重要であるとかの議論はしませんが、楽しいのは風水かもしれません。
ドイツの家のお客様で風水にこだわる方が多いのかどうかはよくわかりませんが(多くの方はお話を聞いてみると風水というより家相です)、僕はそのこだわりを尊重したいと思います。
「占いではない」テクノロジーとしての風水を否定する理由はどこにもありませんし、そもそもその意味での風水に興味をもたれる方は総じて文学的でお話して楽しいです。

ところである日毛綱事務所に建築家・建築史家の藤森照信さんがインタビューかなにかで来たことがあって、当時の事務所はビルの2階が設計室、3階が間仕切りのない先生と模型制作のスペースになっていて、たまたま僕は模型を作っていたので先生と藤森さんの会話がなんとなく聞こえてきたのですが、たぶん雑談のときに藤森さんが先生にこう尋ねました。
「本当に風水とか信じてるの?」
僕はえっと思っておふたりをふりかえりましたが、先生はにやっと笑って

「近代人だからね」
と答えたように聞こえました。
先生がそのあとに飲みこんだ言葉はわからないけれど、藤森さんもそれ以上つっこみませんでした。