民家ということ2

前回民家園から最初の別れ道に話が飛んだので、もう少し民家の話がしたいなと思います。
別れ道といえば同名の映画があって(「わかれ路」原題intersection)フランス映画のリメイクらしいのだけれど、リチャード・ギア演じる建築家の話で、僕は好きな映画です。

ドイツの家がドイツの家になる前、僕が僕たちの会社に入社するずっと前ですが、ドイツの家は「現代民家」「素足の家」と名乗っていた時期があります。
素足の家はドイツの無垢フローリングをイメージしたのだと思うし、実際ドイツの家のお客様はみなさん素足です。
現代民家はどうしてなのか、調べていませんがドイツの家が民家と名乗っていたことに少しこだ わっています。

さて篠原一男著「住宅論」(70)の話題から。 建築意匠を学ぶ学生さんや元学生さんから「ベタ」と言われそうですが、気にしません。
篠原さんは建築家なので少し説明します。

東京工業大学のプロフェッサーアーキテクトで、特に住宅を抽象化しながら比較的小さな家に大きな空間を導入するような様式でカリスマ的な存在でした。
代表作のうち「から傘の家」(61)や「白の家」(66)は移築されていまも存在します。

特に「から傘の家」は一昨年ドイツのヴァイル・アム・ラインにあるヴィトラキャンパスに移築されて話題を呼びました。
ヴィトラはスイスの家具ブランドですが、その敷地内には世界の名だたる建築家たちの作品が建 ち並び、一大聖地のようになっています。

その篠原さんの代表的な著作が1970年の「住宅論」です。
おそらく建築意匠の学生さんや元学生さんで読んでいない人はいないというほどの本です。

さて、名言の多い「住宅論」ですが、そのなかで民家について書かれているのが次です。

-民家は正確には建築ではなく、自然の一部なのだとわたくしは思う-

ドイツの家のもっとも基本のコンセプトは「(美しいデザインと高い性能による)自然との一体化」であるということはホームページで繰り返しお伝えしてきましたが、半世紀もまえに篠原さんが「民家は自然」だと言っています。

もちろん、特に住宅性能については半世紀前とはまったく違うので、できあがる住宅は篠原さんとは違います。
(ヴィトラに移築された「から傘の家」の断熱はどうしたのだろう、そのままかしら、寒くてド イツ人はびっくりしないかしら)

ちなみにさきほどの篠原さんのテキストの前にはこうあります。

-すぐれた民家は豊かな風土のなかにつくられる。きびしい風土はすまいにきびしい表情をあたえる-

半世紀前のきびしい表情はきびしい風土(自然)と対立することからだと思いますが、ドイツの家はその風土(自然)と協調するという「やさしさ」を見せています。
対立と協調という違いはあるにしても、自然と深くかかわる、あるいは自然そのものということ は通底する思想です。

ドイツの家の柏尾台モデルハウス(神戸市北区)のすぐ近くに「箱木千年家」という古民家があります。
ほんとうに千年前というわけではないですが、建立は室町時代と推定されていて現存する日本最古の住宅です。
学生時代を含めてなんども箱木千年家を訪ねていますが、あれも建築か自然かと言われるとたしかに自然です。
箱木千年家に対して関東の雄といえるのが伊豆韮山にある「江川家住宅」(江戸時代)です。
箱木千年家にくらべて古さでは及びませんが、その美しさでは超えています。
(デザイナーの個人的見解です)
迫力のある架構や土間から直接生えているような掘立て柱が見どころです。

1950年代に建築界で「伝統論争」というのがあって、それは縄文的/弥生的を対立させたものですが、そのきっかけとなったのが建築家白井晟一による縄文的なるものとしての江川家住宅への言及でした。

この伝統論争について建築家・建築史家の藤森照信は「日本の造形文化の流れを縄文弥生のふたつに分けたうえで、縄文的なるものの生命力を謳いあげた」「建築家の目は伊勢から桂までの弥 生系の伝統にしか関心が向いていなかった」としています。

白井さんは(篠原さんや藤森さんに比べて白井晟一を白井さんと呼ぶことのなんという違和感!) おそらく日本の建築家史上最大のカリスマで、いまだに強く大きなファン層をもちます。 そしてかくいう僕もそのひとりです。
代表作として渋谷区立松濤美術館と静岡市立芹沢銈介美術館をあげておきます。

ちなみに上記の江川家住宅への言及は著書「無窓」に「縄文的なるもの」として収録されていますので興味のある方はぜひ。

ただし、白井さんは若い頃ドイツに哲学者として学んでいますので(ヤスパースに学んだそうです)文章はそれなりにあれ、です。

僕の設計を見て同業者からときどき「少し太い」と言われることがあります。
意識的かどうかは別としてそこには多少の侮蔑が含まれているので「そうですか」と笑うことにしているのですが、縄文や白井晟一への憧憬を考えると宜なるかな、です。

20年ほど前に設計した「両親の家」や「或る農家の改修」なんていま見ても太いです。
(「或る農家の改修」は太さがテーマだったので当然ですけれど)
よく考えると、いえよく考えなくてもそもそも師匠が毛綱毅曠ですから。

言い訳じみて終わります。

written by NAGAKI