間取りということ

子どものころになりたかった職業ていろいろですよね。
僕が建築家を目指したのは高校生のときで、それ以前になりたかったのは彫刻家、獣医師、弁護士、そして脚本家です。
彫刻家は画家の才能は足らないと分かっていたので彫刻家ならと思ったから(そんなわけない!)、獣医師はムツゴロウさんに憧れて、弁護士はポールニューマンの「評決」を観て、です。

僕は子どもにしてはの注釈付きの映画ファンで、当時は安い料金(600円くらいだったかしら)で2本立てが観られる名画座があったので時々行っていました。
大阪はキタの大毎地下劇場とミナミの戎橋劇場でしたが、両方ともいまはありません。
どちらかで観た「追憶」(バーブラストライサンドとロバートレッドフォード)と「ひまわり」(ソフィアローレンとマルチェロマストロヤンニ)の2本立てはいまでも僕の大好きな映画です。

監督は無理だと分かっていたので脚本家ならと思ったのです。(だからそんなわけない!)
山口瞳の「けっぱり先生」という小説を脚本化しようとして書き出しましたが、完成した記憶がないので早々に諦めたのでしょう。
当時すでに森繁久彌主演でテレビドラマ化されていたなんてもちろん知りませんでした。

基本設計図というのがあります。
配置図、平面図、断面図、立面図です。
建築家の宮脇壇さんが仕事が増えて事務所が大きくなって、だんだんと図面を所員に取られるようになって寂しい、最後の砦の平面図だけは死守しているとどこかで昔書かれていました。
それはそうですよね、平面図まで取られたら、だれの作品かもはや分からなくなります。
僕はいまのところ基本設計図はすべて自分で描いています。(実施設計の段階で修正をしてもらうことは多々あります)

設計者はどの図面から考えると思われるでしょうか。
配置図でしょうか。
敷地におさまり、かつモジュール的におかしくないサイズを考え、方位から日射量や眺望による建物の向きと同時に駐車場との取り合いから配置とする。
あるいは平面図、または間取りでしょうか。
いずれも存外違うと思います。

少なくとも僕はまずは外観と断面のスケッチから入ります。
ホームページでも繰り返しお伝えしていますが、ドイツの家の外観は合理的に自然と一体化するため、また自然エネルギーを効果的に取り込むための「普遍的な箱」としてデザインの大枠が規格化されています。
実際にはそれをもとに具体的なデザインを行い、美しい建物になるかという確認をするという作業です。

これはどちらかというと「彫刻的な」作業で、プランの中身はほとんど考えません。
建築家のフランクゲーリーは「建築と彫刻の違いはなにか?」と問われ「開口部があるかないかだ」と答えたそうですが、ゲーリーはむしろこう答えたかったのではないかと思っています。
「開口部があるかないか(程度)だ」

彫刻家になりたかった僕は、やはり住宅の外観は彫刻的でありたいと思っています。
もし住宅が彫刻的であれば、住宅にあり彫刻にない悪癖を消すことができます。
僕は「捨て面」と呼んでいますが、住宅の見えない面のことで、ゆえにやりがちな内部の使い勝手による美しくない窓割りのことです。

あるいは見える面だけを高価な材で覆い、それ以外の面を安価な材で覆うというあまり上等とはいえない姿勢も同じといえるかもしれません。

彫刻に「捨て面」はないので、住宅を彫刻的に考えるということはすなわち、すべての面に心を配るということです。
ちなみにフランクゲーリーは前に書いたヴィトラキャンパスの最初期の建物であるヴィトラデザインミュージアムを設計しました。

さて建物が美しくなりそうだと安心したところで、断面のスケッチを描きます。
このとき初めて断面が導く暮らしとお客様が望まれる暮らしがリンクしていくことになります。

僕が断面でなにを見ているのか、それは光、しかも立体的な。
立体的な光を示してくれるのは断面しかありません。
お客様は「平面図」には興味があっても、「断面図」にはあまりないと思います(天井高の確認くらい?)が、実は「断面図」こそ最重要図面です。

ゆっくりゆっくり光の指す先へとイメージを辿させ、実際に僕はその場を歩いてみます。
歩きながら「絵コンテ」あるいは「台本」のように視線を動かし上下左右を眺めてみます。
このときの僕はなりたかった脚本家のよう、なのかもしれません。

彫刻家のように外観のデザイン、脚本家のように暮らしのデザインをイメージしたのち、ようやく配置を確認し、間取り(プラン)を考えることになります。

つまり間取りは「最後の」作業なのです。

ときどきご自身で描かれた間取りを初回(打ち合わせ)に持ってくるお客様がおられます。
さいきんはお客様には「間取りを描こうとしないで、それよりご自身(たち)の理想の暮らしを言葉にして教えてほしい」とお願いしています。
みなさん、ちゃんとやってくれます。
その言葉は僕のイメージを助けてくれますし、お客様も改めて(あるいは初めて)なぜ家をつくりたいのか、を考えられるようです。

お客様は設計者から間取りより言葉を求められ、設計者は間取りまでにほとんどの設計は終わらせているので、けっきょく間取りてなんだろう、というお話しなのです。

前に家は広いほどよい、パブリックな空間に間を、と書いたのだけれど、僕にとっての間取りはその「間を取る」ことです。
それでもあえて一般的な意味での間取りを成功させるコツのようなものがあるのだとしたら、それはこだわらないこと、つめこまないこと、わりきることかなと思います。

これを諦観といいますね。