言語化ということ

こんにちは、設計者です。
いままでのブログはディレクターのNさんとライターのSさんに取材をしてもらい、Sさんがテキストにまとめたものを僕が少々校正するという方法でやってきました。
でもせっかくホームページも新しくなったので、ブログも僕のテキストにした方がけっきょく楽しいのでは、という代表の思惑もあり、そうなりました。

いままでブログで発信していた「知っていたほうがいい」はダイアローグで僕と省エネ診断士と代表で話そうと思うので、ブログは日々僕が考えていることをちょっと知ってほしい、できれば共感してくれる人がいればさらにうれしい、というエセーのようなものを書こうと思います。

ところでドイツの家は単体の工務店ではなく商社の部門だということはホームページでお伝えしているとおりなのですが、僕たちの会社全体のメンバーは70名ほどで、そのうちドイツの家に関わるメンバーは10名ほど、そのメンバーでときどき会議でああでもないとやるわけです。

とくに名称はないのですが、その会議がかなりおもしろい。
もちろん事業の進捗の話やもっとリアルなお金の話もあるけれどそれはわずかな時間、ほとんど の時間は豊かな暮らしとか良いデザインとか、もっと抽象的な話題をメンバーで話します。

会議は短くが最近の流れだけれど、僕たちの会社は「仕事あがりの一杯」というカルチャーがないので、ここは時間を区切ってめいっぱいやります。
先日は「直線と曲線てなんだろうね」でした。 おもしろかったのでこれはダイアローグでまた話したいと思いますが、たいていの話題は代表が 提示してきます。

会議の冒頭に「ちょっとおもしろい話があってね」から始まるときもあれば、数日前にメンバーのアドレスに「考えてみてね」とメールがくることもあります。
代表はドイツの家だけではなくすべての事業部のマネジメントをしているので、よくもいろいろ考えるなあと感心するのですが、彼がみんなで共有したいと思っているのはけっきょくのところ 「言語化」なのです。

それに代表は「僕たちに出会うとglücklich(幸運)だね」とよく言うのですが、これには二重の意味があります。
ひとつはドイツの家がほんとうにデザインも性能も良い家で、ハウスメーカーはもちろん、他の工務店と比べても圧倒的に原価率が高いということ、もうひとつはぜんぜん知られていないということ。
とくにふたつめの知られていないをかいくぐってアプローチしていただくお客様はほんとうにありがたく、自戒の意味も込めてのglücklichなのです。

多くの人にもっと知っていただくにはもっと言語化が必要だよね、その言語は全員にわかる必要性はないけれど僕たちと相性のよいお客様にはきちんと伝ってその言語のなかで会話できると最高だよね、だから設計のあらゆる段階を言語化してね、と代表は言いたい。
それを聞いて僕や実施設計を担当するGさんあたりは顔を見合わせて苦笑いするのです。

ドイツの家の設計は合理的な考えでできているとはいえ、最後にエイッと空間を響かせるのはデザイナーのセンスといっていい、その瞬間はとても言語化しにくい、というより言い訳がましくて 恥ずかしい。
でも代表は設計やデザインをするのではないので、その瞬間にこそ家づくりの醍醐味がありそうでそれを言語化せずに「わかるでしょ?」はないだろう、そもそも「黙して語る」はやめてくれ、お客様にも僕にもその瞬間を知る権利はあるはずだ、とくるわけで、ぐうの音も出ないのです。

そういうわけで僕はいまこれを書いているわけでつまり最初に戻ります。
日々僕が考えていること、これをできるだけ言語化することがドイツの家をわかっていただくこと、glücklichな人をもう少し増やすこと。

ちなみに会議では建築家の文章ってあんまりだよね、それより料理家には文章が上手い人が多いの はなぜだろうという話になりました。

できれば料理家のように。

written by NAGAKI